2004年 オホーツクの端っこ 流氷の街で
お金も何もないひとりの看護師が
そんな思いだけで無謀にも『有限会社コミュニティ』を設立

先ずは
民家を借りて、大型施設や社協運営のデイサービスが主流だった当時では珍しい定員10名以下の小規模デイサービスからスタートして
介護保険事業を中心に地域福祉課題の解決に繋がること、特に認知症介護に拘りスタッフと共にできることは何でも挑戦してきました。

そして、手探りで認知症の人との地域生活の在り方を模索してきた結果、2017年には日本認知症ケア学会において石﨑賞を頂き高い評価を受けることができたのです。
その時、「ケアの質に都会も田舎も関係ない!自分たちの目指しているケアの方向性は間違ってないなかったんだ!」という大きな自信に繋がったのでした。
そんなふうに地域では、認知症ケアは(有)コミュニティとケアマネジャーさんからも評価されるようになり、利用者数も増えて
2017年頃には、事業数も増え職員数も85名以上となりそこそこの企業になっていました。
ところが、どうしたんでしょうか?
毎年一定数の職員の出入りはそれまでもありましたが、気が付いたら辞める人の人数は変わらないのに
いくら求人票を出しても殆どハローワークから応募の連絡がこない💦
たまに来てくれる人もいましたが弊社の社風に合わないような人たちが多くなってきて採用に踏み切れない
でも、選んでいる場合じゃない!そんな葛藤もしばしば起こるようになっていました。
当然現場は、人手が足りないとブーイングが起こり始める
これまでみんなで築いてきたコミュニティの介護理念から少しずつ遠のいていくような
漠然とした不安がわいてきました。
これでは、丁寧な認知症介護の実践などと言っている場合ではない
心身に余裕のない状況で優しい介護を求めることはどんどん難しくなっていったのでした。
「ただ黙って待っているだけではもう介護人材は採用できない💦」
「人材確保をしなければ認知症ケアの質の担保はできない」
「なんとかしなければ・・・」
人口20,000人弱の高齢者の街でどうやって人材を確保したらよいのか途方に暮れていた私は、
この技能実習制度改正に一筋の光を見出したのでした。
「これからは、外国人介護人材に助けてもらわなければよいケアの担保はできない!」
そう確信した還暦マダム(羽田)
新幹線も一人で乗れない、日本語以外は話せない、そんなリスクを背負って
2018年 単身で海外に飛び出して行く決心をしたのでした。
ここから還暦マダムの東南アジア大冒険が始まったのです。

| 2004年 | 有限会社コミュニティ設立 |
| ミニデイサービス陽だまり開設 | |
| 2010年 | 北海道認知症介護指導者となる |

