東南アジアに日本の介護の種を撒く 【回想録ベトナム編 その1】

単身で渡航し始める前、最初の旅の始まりは2017年11月でした。

その時は、具体的な方策も何もないまま、ただ漠然と藁にもすがるような思いで知人とベトナムのホーチミン市へ向かったのでした。

なぜベトナムという国を選んだのか

その当時、紋別市はベトナムとの交流が盛んになっていて、役所や商工会等が中心になってホーチミン市で物産展や観光PRに出向き新聞等で話題に上ることも多くなっていました。そのため地元紙や関係機関の情報からベトナムの事を耳にする機会が多くなり自然と私もベトナムに興味を持つようになっていったのです。

そのうえ、偶然にも以前からホーチミン市で民間介護施設を運営している知人がいたこと、そしてその施設を紹介してくれた日本人ガイドの友人夫婦が現地でのサポートを引き受けてくれたという条件が重なり、先ずは知り合いのいる国に行ってみようということになったのです。

初めての訪越

人もまばらな街に住んでいる私にとって、その人の多さと熱気にカルチャーショックを受けながらも、活気のあった昭和を思い起こすような、どこか昔懐かしい感覚のベトナムという国に益々関心が高まっていったのでした。

そして、まず最初に知人の施設を見学させてもらいました。

元々、ベトナムは昔の日本同様、家族介護が当たり前であり、病院では看護補助としての仕事はありましたが、日本のような専門職としての『介護』というものはまだ皆無の状況だということをその時知りました。

現地では日本のような介護に関する情報は殆どなく、翻訳も介護は看護と同義語であり、当然日本のような介護の概念などは全く存在などしていませんでした。

開設者の知人は元々不動産業であり介護、看護など全くの知識のない中、看護師が中心となって病院の延長線上として業務が行われているようでした。

施設は下の左側写真の蓮池を真ん中にして平屋でコの字型につくられていて、利用者が増えてきたからとどんどん増築しているようでした。

居室では、おむつは使用していず、この時はベッドがすのこ状で排泄はベッド下に垂れ流しという状態でした。(おむつはコストがかかることと品質も悪く平均気温が30℃を超えるような環境では使えないという現状もありました)                                                                                                                           更に大部屋は、男女分ける事もなく、所狭しとベッドが並べられ、全裸で汚れるからと掛物もないような状態で高齢者が横たわっている光景は、どこか昭和の頃の日本の老人病院や精神病院などを思い起こすような光景そのもので大きな衝撃を受けました。また、医療面でも衛生概念が低く、薬を床に広げて管理している様子にも目がとまりました。                                            

(※注 現在、この施設は大変立派な近代的な施設となり、積極的に業務が改善されてケアの質も向上していることを申し添えます)

下の写真の方はこの施設の最高齢で100歳のお婆さんです。

このようなオールドカルチャー介護の現状ではありましたが、そこに暮らすお年寄りとも交流をさせて頂きながら、やはり認知症であっても、どこの国のお年寄りも皆さん同じだと実感するとともに、私はこの笑顔をベトナムでも守りたいと考えるようになったのでした。

また、技能実習生の送り出しが運営する日本語学校も見学しましたが、ここもまた二段ベッドで生活をしながら日本語の訓練が行われ、まじめにやらない実習生は罰として腕立て伏せや反省するまで走らせるという説明を受けて、昭和のころのスパルタ教育を思い出してしまうような方法で学んでいる現状にも驚きました。

そして、その施設で介護技能実習生として、来年日本の介護施設へ行く予定だという実習生8名と出会いました。

私は、認知症介護指導者として、この施設のケアが介護だという間違った認識を持って日本に来てしまうより、少しでも日本の認知症介護を理解して来てほしいと思い、知人の施設長に研修会を開催させてもらえないかと申し出てみました。

移動費や滞在費は自腹で全てボランティアでいいと伝え、                            更に通訳も知人夫婦がボランティアで引き受けてくれることにも

施設長はこの申し出をとても歓迎してくれて

日本側の管理団体の許可が必要なので、実習生に直接指導はできないが、実習生を指導する施設職員研修としてなら是非やってほしいと了解を得ることができたのです。

翌年2018年の5月、6月のふた月に渡り、3グループに分けて実施することになり、ここから私の単身での海外活動が始まったのでした。

ひとグループ二日間ずつで、一日一時間の二部構成で実施し、3グループすべて同じ内容で6日間にわたって30名ほどの職員全員にこの研修を受講してもらうことができたのでした。                                                                                                                        

この写真は最終日の様子で花束をいただきました。

この研修の内容としては

これまで、私が日本の認知症研修会で日頃伝えている病気の事や対応の基礎を中心に講義をおこないました。

そして、認知症になっても何もわからなくなったわけではないことを繰り返し、繰り返し伝え、認知症になっても一人の人としてその人をとらえなければならない大切さを伝えたつもりでした。

しかし!!💦しかし!!💦しかし!!💦                                                                                     

この研修最終日に受講した職員から以下のような質問を受けたのです。

それで、先生、何もわからなくなったお年寄りにどうやって私たちの言う事を聞かせたらいいのですか?って

その言葉も通訳の人が日本語で私に伝えてくれたのですが、それを聞いた瞬間、そこでやっと私は理解したのです。

護の概念が出来上がっていない国で、日本の介護の話をいくらしても               誰も理解することができないということ

通訳を手伝ってくれた知人は、流暢な日本語で日常会話は可能ですが、ツアーガイドが本職ですから、医療や日本の介護の話の意味など分からなくて当たり前たったのです。実際私の話をどう解釈して職員の皆さんに伝えていたのかは、ベトナム語がわからない私には確認することもできず、この6日間実際どんな風に私の話が説明されていたのか全く分からないまま、一方的に私ひとりが自分の話したことは伝わっていると思い込んでいたのです。そして、そうではなかった事実がこの質問の全てだとはっきり自覚することができたのです。

当たり前の事なのに、全くこのことを認識していなかった私は、初めて、『言葉の壁』というものを痛感しました。

いくら普段の会話がスムーズでも、専門的な事はその知識がなければ通訳することができないという、当たり前の事をその時初めて認識したのです。日本の常識は世界の常識と思いこんている典型的なおばさんの目から鱗が落ちた瞬間です。

そして

介護の概念が確立していない国では、認知症介護について言葉では伝える事は難しいことはこの経験でよ~く分かった!

では、 どうやって日本の介護を伝えたらいいのだろう?

こうして、この施設での講義経験の失敗が私を次のステージへ向かわせるきっかけとなっていったのです。

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