「言葉だけでは伝わらない」――介護の概念、その壁をどう越える?
前回、ベトナムの介護施設で認知症介護の勉強会を終え、
大きな壁に打ちのめされたところまで一気にお話してしまいましたが
その時の状況と心境を もう一度、当時のFacebookの自分の言葉を通して振り返ってみることにします。
実は、私が初めてベトナムを訪れたのは2016年3月。
この時の訪越は、ほとんど観光でした。
ところが、その時に目にした現地の介護の衝撃的な光景が、帰国してからもずっと頭から離れませんでした。
そして、日本へ来るために日本語学校で学ぶ人たちの現状を、もっと知りたいとも思うようになりました。
翌年の2017年11月と2018年3月には、再び息子たちや知人と仕事目的でベトナムへ。



そして――
気がついたら、今度は一人でベトナムへ行く段取りをしていた。
というのが、本当の流れでした(笑)。
2018年4月12日。
初めて一人でベトナムへ向かった時のFacebookには、
「初めての海外ひとり旅!ベトナムまで行ってきます(^^)
行けるかなぁ(^^)」
と書いてあります。
今見ると、本当に頼りない出発です(笑)。
まさかこのあと、毎月のようにベトナムへ通うことになるとは思ってもいませんでした。



「この温度差をどうやって埋めるのか」
その2日後、4月14日のFacebookに、私はこんなことを書いています。
「介護の概念が無いこの国から介護職員を日本は育てようと動いています。」
そして、
「この温度差をどうやって埋めて行くのか、どう埋めなければならないのか、真剣に考え実行しなければいけない。」
これは、二度目の施設訪問で、施設長の考えを聞き、改めてその介護環境を観察させてもらったあとの言葉です。
今でも読み返すと、この時の駆り立てられるように沸き上がる感情を思い出します。
認知症介護指導者として、そして看護・介護の教育に携わってきた者として、自分にできることをやってみよう。
そう決心して、施設長に日本の介護の勉強会をやらせてほしいとこの時お願いしたのです。
だったら、自分も学んでみる
もう一つ、私にはイメージできていないことがありました。
これから日本へ来て介護の仕事をする外国の人たちは、あの所狭しと置かれた二段ベッドで寝泊まりしながら、どんなふうに日本語を勉強してくるのだろう?
私たちが普段何気なく使っている日本語を、外国の人はどうやって理解していくのだろう?
考えてみれば、私は日本人ですから、国語は学んでも「日本語」をきちんと勉強したことがないんですね。
ネイティブですから、当然なんですが。
改めて、外国の人たちはどんなふうに日本語を学んでくるのだろうと関心を持つようになった私は
相手を知るためには、まず自分が学ばなければならない。
そう考え、2018年4月から通信教育で本格的に日本語教育の勉強を始めたのです。
まさに、そのオンライン学習をスタートさせた場所も――
ベトナム・ホーチミン(笑)。



教えてみなければわからない
5月、2回目の一人旅。
ここで、実際に日本の介護の勉強会を始めました。
まずは「介護の理念」から。
私がこれまで、認知症介護指導者として日本で何十回も繰り返し講義してきた認知症のお話です。
ある意味、得意分野であり、十分に練り込んだ内容だと自信満々でした。
大事なことは何度でも伝えます。通訳に「それ、さっきも言いましたよ」と言われながら(笑)
その思いが、そのまま熱量として伝わると信じていましたから。
当然、私が話したことは全部通訳してもらっていると思ってましたし。
毎日1時間ずつ、4回シリーズ。
受講した人たちがどう感じるのか。
この勉強会を続ける価値があるのか。
私自身も手探りでした。
5月、そして6月。
4月には、
「行けるかなぁ」
と言っていた私が、6月には、
「ひとり旅も板について来た感じ!」
なんて書いています。
人間、必要に迫られると強くなるものです(笑)。
実際にベトナムへの移動も手慣れた感じになるほど
何度も現地へ行って、同じことを繰り返しました。
教えて、見て、考える。
また教えて、反応を見る。
そして、また考える。
それでも日本での講義と同じように、最後には落としどころに落とせるという確信もありました。





でも――。
反応は、まったく真逆なものでした。
「認知症になっても、何もわからなくなるわけじゃないのですよ」
と繰り返し伝えたはずなのに、最後の最後に、
「何もわからなくなった人に、どうやって言うことを聞かせるんですか?」って💦
たくさんの時間をかけて講義して、はっきりわかったことは――
私が伝えたかったことは、何ひとつ通じていなかったという事実。
そして、もう一つ気づいたことがありました。
私が日本で当たり前だと思ってきた「認知症介護」という介護文化や考え方は、決して世界共通のものではないという現実です。
認知症になっても、その人はその人であること。
できないことばかりに目を向けるのではなく、まだできることを大切にすること。
何でも代わりにしてあげることが介護ではないこと。
その人がこれまでどんな人生を歩み、どんな暮らしをしてきたのかを知り、その人の物語に耳を傾けながらケアすること。
そんな**「日本の介護の概念」そのものを理解してもらうところから始めなければならなかった**ということだったのです。
「言葉で教えることが難しい」のなら――
ならば、実際にやって見せて、やらせてみるOJTの場所をつくる。
そんな考えが、打ちのめされた私の頭にぼんやりと浮かんできたのでした。
日本語ができれば、日本の介護ができるわけではない。
介護技術を教えれば、日本の介護が伝わるわけでもない。
では、どうする?
その策を見つけたくて
私は、とにかく現地へ行くことにしました。
「私、また同じことをしている」
6月16日。
会社立ち上げの頃から私の活動を知っている市役所の方と話をしていて
「羽田さん、昔と同じことまたやってるんですね。どこからそのエネルギーが湧いてくるの?」って
その日私は Facebookに、こんな一言を残していました。
「本当だ、おんなじ事してるって今日気がついた!」
何と同じなのか。
2004年、紋別で初めて「ミニデイサービス陽だまり」をつくった時の自分です。
あの頃も、何もわかりませんでした。
どうやって起業するのか。
介護事業をどうやって立ち上げるのか。
経営をどうするのか。
何から始めればいいのか。
よくわからないけれど、
「認知症の人が安心して過ごせる場所をつくりたい」
ただその思いだけで、一軒の民家から始めました。

そして十数年後。
私はまた、言葉も制度も文化もわからない外国で、
「どうしたらできるんだろう?」
と考えながら動いていました。
Facebookには続けて、
「15年前の私は、まだ何もわからなかったから突き進んで来れたと思う。」
そして自分自身に、
「初心に帰れ!!」
と書いています。
今思えば、この頃から私の中で何かが変わり始めていたのだと思います。
もうその頃には、陽だまりホームと同じような施設を作り
そこを現地の介護トレーニングセンターにするという構想が私の頭の中に出来上がっていました。
しかし、知人の伝手でどうにか現地法人は立ち上げることはできたものの
実際にその先の施設づくりは一向に進めることができず八方塞がり状態だったのです。
そして、ダラットへ
2018年7月18日。
それまでずっとホーチミンでの私の活動を支えてくれていた、
日本語ツアーガイドのホンさん夫婦が、ホーチミンから引っ越してダラットで新しい暮らしを始めると聞き、私は初めてダラットへ行きました。




高原の美しい街、ダラット。
ホーチミンとはまったく違う、涼しく穏やかな空気。
その日は一日しか滞在できませんでしたが、Facebookには、
「来ることができて良かったです。具体的に色々考えを整理することができそうです。」
と書いています。
ホンさんとイエンさんは、
何度も私の介護の話を通訳し、紋別にも来て、日本の介護現場を実際に見てくれた二人です。
思えば、二人は誰よりも繰り返し私の介護の理念を聞いていてくれていました。
だからこそ、最初に訪れたホーチミンの施設で行われていたような介護は、絶対に嫌だと思うようになっていました。
ダラットに移った頃には私のやりたいことを十分理解できる人たちとなっていたのです。
ちょうどホンさん夫婦は、ホーチミンでのガイドの仕事は辞めて、ダラットで何かお店でもやろうかと考えていました。
私は、ホンさんに高齢者施設を作る仕事を手伝ってほしいと頼んでみることに。
2004年に一軒の民家から「ミニデイサービス陽だまり」を始めた自分。
頭の中で、いろいろなものがつながり始めました。
言葉で伝わらないなら、実際にやって見せればいい。
日本の介護を実際に行う場所をつくり、
そこで一緒に働き、
利用者さんと接しながら、
介護とは何なのかを体で覚えてもらう。
それなら伝えられるかもしれない。
だったら――。
ダラットに、日本の介護を実践する場所をつくってみよう。
また始まってしまいました(笑)。
2004年、紋別で一軒の民家から始まった「ミニデイサービス陽だまり」。
そして2018年。
今度は日本から遠く離れたベトナムの高原の街で、
私はもう一度、
「一軒の家から始めてみよう」
と考え始めていました。
まだ家も決まっていません。
家具もない。
スタッフもいない。
利用者さんも、もちろんいない。
当然、介護保険制度もありません。
あるのは、
私の思いを理解してくれる日本語ペラペラのベトナム人夫婦と
「言葉だけで伝わらないなら、やって見せよう」
という思いだけ。
そして翌月。
私は再びダラットへ向かいます。
そこで、一軒の家と出会うことになります。

次回――
ベトナム編その3
「何もない一軒の家から、もう一つの『陽だまり』を」
還暦マダムの東南アジア大冒険。
どうやら私は、また大変なことを始めようとしていました(笑)

